Anyone who has four steps leading to liberation will be Buddha 解脱に至る四つの階梯 人は誰でもBuddha成る

その秘密が『三供養品』に説かれています。仏教の原点ともいえるこのお経をさっそく読んで

聞如是。一時仏在舎衛国祇樹給孤独

園。爾時世尊告阿難。有三善根。不

可窮尽。漸至涅槃界。云何為三。所

謂於如来所而種功徳。此善根不可窮

尽。於正法。而種功徳。此善根不可

窮尽。於聖衆而種功徳。此善根不可

窮尽。是謂阿難。此三善根不可窮尽

得至涅槃界。是故阿難。当求方便獲

此不可窮尽之福。如是阿難。当作是

学。爾時阿難聞仏所説。歓喜奉行

聞くこと是の如し。一時、仏、舎衛国祇樹給孤独園に在

しき。爾の時世尊、阿難に告げたまわく、「三善根(三

福遺)有り、窮尽す可からずして、漸く涅槃界に至る。

云何が三ど為すや。所謂如来の所に於て功徳を種う。此

の善根窮尽す可からず。正法に於て功徳を種う。此の

善根窮尽す可からず。聖衆に於て功徳を種う。此の善

根窮尽す可からず。是れを阿難、此の三善根は窮尽す可

かず、涅槃界に至ることを得と謂うなり。是の故に阿

難、当に方便を求めて、此の窮尽す可からずの福を獲べ

し。是の如く阿難、当に是の学を作すべし」と。爾の時

阿難、仏の所説を聞きて歓喜奉行しぬ。

このように聞きました。仏さまがコーサラ国の祇園精舎にご滞在の時のことです。ある日、世尊は、阿難にこのようにお告げになられました。

「三善根(三福道)というものがありますが、その功徳は無限であり、涅槃界に至ることができるものです。なにをもって三つの善根(福)とするのでしょうか。(第一に)いわゆる如来の所において功徳を種える、この善根(福)の功徳は無限です。(第二に)正法において功徳を種える、

この善根(福)の功徳は無限です。(第三に)聖衆において功徳を種える、この善根(福)の功徳は無限です。阿難よ、この三善根(三福道)の功徳は無限であり、涅槃界に入ることができるのです。したがって阿難よ、三善根(三福道)を修行して、この無限の福を得なさい。このように阿難よ、この三善根(三福道)を学びなさい」

この教えを受けて、阿難は心より喜び、修行に励みました。

三善根を三福道と呼んでいます。このことについて説明し

ます。

『仏教語大辞典』(中村元著、東京書籍)で「三善根」を引くと、

【三善根】さんぜんごん 無貪善根・無限善根・無療善根の三根。一切の善法がこの三つから生まれるからである。それらは具体的には施・慈・慧となって現われる。三毒の対。

と書かれています。しかし、この『三供養品』に説かれる三善根は、その内容がまったく異なります。それなのに、これを三善根という名称のままで弟子たちに教えるのは、非常な誤解を生むもとだとわたくしは考えました。

それでは、この修行法は、どのように呼ぶべきなのでしょうか?

経文中に、

「此の窮尽す可からざるの福を獲べし」

とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道です。したがって、わたくしはこれを「三福道」と命名しました。この名称ならば無貪善根・無職善根・無療善根の三善根と混同することはありません。

三善根を「三福道」と変えて読誦しているのです。

さて、右の経文を一読すれば、涅槃界に至るためには三善根(三福道)が必要なのだ、ということをお釈迦さまが説かれているのが分かると思います。

涅槃界とはなんでしょうか?

普通は涅槃の境地・境界の意味で使われます(ただし本経では違う意味を持っておりますが、それについては後述します)。『五戒品』でも触れたように(本書三七頁参照)、涅槃とはサンスクリット語でニルヴァーナといいますが、生死を超越した境界、完全解脱の境地です。完全解説とは業と因縁から完全に解放された状態です。

わたくしたちは業と因縁の塊です。業と因縁によって輪廻転生を続けています。輪廻転生とは生死の流転がやまず、無限に生死の流転を繰り返すことです。まるで車の輪が廻るように絶え間なく、生と死を繰り返していくので輪廻転生といいます。また、生死流転、生々流転とも呼ばれます。直線ならば、いつかは終点にたどり着くでしょう。ところが輪というのは終わりがありません。終点がないわけです。輪が廻るから無限なのです。ただただ、グルグルグルグルと生死を繰り返すのです。

そういいますと、

「はてしなく廻ってもいいんじゃないですか。いろいろなものに生まれ変わって、さまざまな人生を味わうことができるわけでしょう。男になったり、女になったり、偉くなったりというように、いろいろな人生を味わうことができるのだから、むしろ楽しいじゃないですか」そういう人もいるかもしれません。一度限りの人生ではなく、輪廻転生する方が楽しいという人もいるでしょう。

ところが、輪廻転生は決して楽しいことではありません。むしろ苦しいことです。輪廻転生が苦しいことだから、お釈迦さまは輪廻からの解脱を願って修行したわけです。

なぜ、輪廻転生は苦である、とお釈迦さまは説かれるのでしょうか?

それを理解するためには、まず、仏教の人生観を知る必要があります。

仏教では、まず、人生イコール苦であると見ます。人生は、すなわち苦しみであると考えるのです。わたくしもそのとおりだと思います。たしかに人生には楽しみもあります。けれども、一生のうちに体験する苦と楽を一つずつ相殺していくならば、苦しみの方が多く残るでしょう。にある苦しみの中に、ときどき喜びがあるというようなものではありませんか?

さらには、その喜びが、次なる苦しみの原因になることが多いのです。

仏執でロ人問の々[しみな分類してヽ匯即刻帽と呼んでおります。四苦とは人間の基本的な苦しみです。さらに四苦に付随した苦しみが四つ出てきます。これを最初の四苦と合わせて八苦といいます。通常はそれらを総称して四苦八苦というわけです。

仏教の基本教義として大切なことですから、もう一度復習しましょう。

まず、四苦というのは、生・老・病・死の苦です。これが人間の基本的な苦しみです。さらにその四苦に付随した苦しみが出てきます。それが愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の四つです。これらの苦を総称して、四苦八苦といいます。こうしてみると、人間というのは本当に苦の塊です。

四苦の第一は生の苦です。実際に自分の人生を振り返ってみればよく分かると思いますが、生きていくこと自体が苦しみです。生まれたこと自体が苦しみです。生きているからこそ楽しいこともあるけれども、その楽しいことが次の瞬間に苦の種となっています。ですから生は苦であるというしかありません。

第二は老の苦しみです。生きている以上は、だれもが年をとります。必ず老いていきます。これもやはり愉快なことではありません。老いた人ならではの喜びもありましょう。けれども老いれば体力・気力・智力も落ちていくわけですから、「老い」は決して愉快なことではありません。

朝起きて、ひげを剃るために鏡を見ると、

「ああ、我、老いたり」

という感をしばしば抱きます。自分では若い気でいても、若い時のような強い体力を発揮することはどうしてもできません。老いる苦しみというものは、だれしも味わうものです。

第三は病の苦です。生きているかぎりは、病気をすることもあります。だれが考えても、病気は楽しいものではありません。病気によって得るものもありますが、相対的に見れば病気は苦しいものです。

第四は死の苦しみです。人間だれしも死を迎えます。悟りきった人でないかぎり、死は寂しいし、つらいし、苦しいものです。

以上が四苦です。この四苦に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の四つを加えて八苦になります。

愛別離苦とは、自分が愛しているものと離別しなければならない苦しみです。どれほど愛し合っている恋人同士、あるいは夫婦、親子、兄弟、友人であっても、いつかは離別しなければなりません。生き別れもあれば死に別れもあります。いずれにしても愛する人と離別することは、本当に苦しく、つらいことですが、絶対に避けられません。

しかも、それは人間関係だけではありません。愛するものとは、必ずしも人間だけではありまけん。たとえば、お金をこよなく愛している人がいます。

『おわはわ金だりが恋人だ。ほかにはなにもいらない』

また、地位を愛している人もいます。内閣総理大臣、会社の社長、重役、それぞれのポストをこよなく愛しています。

けれども、お金であろうと、地位であろうと、いつかはそれらとおさらばしなければならない時が必ずやってきます。いくら、

「いやだ!」

と叫んでみたところで、どうなるものでもないわけです。

次の怨憎会苦とは、怨んだり憎んだりしている相手と会わなければならない苦しみですが、これもまた愛別離苦に勝るとも劣らない苦しみです。

「憎んだり怨んだりしているような、それほど嫌なヤッならば、会わなきゃいいじゃないか」そういうかもしれませんが、因縁によって離れることができなくなっているから、非常に苦し

いのです。その一つが「夫婦縁障害の因縁」です。最初は愛し合って結婚したとしても、怨憎会苦のもとになる「夫婦縁障害の因縁」があれば、夫婦お互いが憎しみ合うことになります。ま

るで親の仇のように憎み合って、朝から晩までけんかぽかりしています。

「それならば、別れてしまえばいいじゃないですか」

理屈ではそのとおりです。ところが、それが別れられないのです。いろいろな人間関係・経済的理由、その他さまざまな事情があって、とても離婚できません。これが因縁の恐ろしいところです。しかたがないから我慢をしようと思うのだけれども、我慢しきれなくて、毎日けんかを繰り返すのですから、日々地獄です。

It’s like listening. Temporarily in the Buddhist temple of Gion, a lonely garden
Shiki. At the time of the earthquake, he told Abashi, “Sanzen (Sanzen)
There is a fortune, and there is no need for exhaustion, and eventually to the world of the Nirvana.
What do you do three times? Seek merit in the so-called Nyorai place. This
I’m sorry that the good roots of the Seek merit in the law. this
I’m sorry that my good roots are exhausted. Seek merit in the saints. This good
I’m sorry for being exhausted. I’m sorry, this Sanzen root can run out
No, it is a so-called growl that it reaches the Nirvana world. Because of that
Difficult, in search of expedient, get this inexhaustible fortune
Then. Asaku, it’s hard to make a study of this.” When
Asa, do not delight in hearing the Buddhist opinion.
I heard this. This is when the Buddha is staying at Gion Seisha in Korsala. One day, Seson told Abashi this way.
“There is a Sanzen root (Mifukudo), but its merit is endless and it can reach the Nirvana world.
It is something. What are the three good roots (fortunes)? (First) in so-called Nyorai
The merit of this good root (fortune) that seeds merit is endless. (Secondly) seeding merit in the law,
The merit of this good root (fortune) is infinite. (Thirdly) This good root (fortune) merit that seeds merit in the saints
Is infinite. Asan, the merit of this Mizen (Mifukudo) is endless, and you can enter the world of Nirvana.
is. Therefore, Osamu, practice Sanzen (Mifukudo) and obtain this infinite blessing. in this way
Abashi, learn this Sanzen root (Sanpukudo).”
After receiving this teaching, Asa was delighted and devoted himself to training.

Sanzen is called Mifukudo. To explain this

I will.

When you draw “Sanzen” in “Buddhist Dictionary” (Gen Nakamura, Tokyo Book),

[Sanzen roots] Sanzengo: Sangen, which is rootless, rootless, and nonsensical. Are all good laws these three?

Because they are born from Specifically, they appear as an offering, charity, and love. A pair of three poisons.

Is written. However, the content of Mizenne, which is explained in this “Three memorial products,” is completely different.

I will. Nevertheless, I thought that teaching it to the disciples under the name Mizen was a source of great misunderstanding.

So how should this practice be called?

In the sutra,

“Catch this inexhaustible fortune”

As you can see, this practice method is three ways to get inexhaustible fortune. Therefore, I named it “Mifukudo”. If this name is used, it is confused with the three good roots of unscrupulous roots, unemployed good roots, and uncurated good roots

It is not.

I read Mizen roots by changing them to “Mifukudo.”

Now, if you read the sutras on the right, you need Sanzen (Mifukudo) to reach Nirvana.

You can see that Buddha is preaching this.

What is Nirvana?

It is usually used to mean the border of Nirvana or the border (though this has a different meaning in the Nihonkei, it will be described later). As I touched on “The Five Commandments” (see page 37 of this book), Nirvana in Sanskrit is called Nirvana, but it is a border beyond life and death, a state of complete liberation. Full commentary is a state where you are completely free from work and affiliation.

We are a lump of work and fate. I am continuing to reincarnate due to my work and my relationship. Reincarnation is a life-and-death transition that is endlessly repeated. It is called reincarnation because it repeats life and death as if the wheels of a car were turning continuously. It is also called life-and-death flow or live-flow transfer. If it is a straight line, you will eventually reach the end point. However, the circle has no end. There is no end point. It’s infinite because it rotates. However, life and death are repeated.

If you say so,

“Isn’t it okay to go around without a doubt? I think we can be reborn into various things and enjoy various lives. Becoming a man, a woman, or becoming great

Moreover, it’s rather fun because you can enjoy various lives.” Some people find it more enjoyable to reincarnate, rather than a one-time life.

However, reincarnation is never fun. It’s rather painful. Since reincarnation is a pain, Buddha practiced hoping to get out of reincarnation.

Why is Buddha explained that reincarnation is a pain?

To understand it, we first need to know the Buddhist view of life.

In Buddhism, we first see that life is suffering. Think of life as suffering. I also agree with that. Certainly there is fun in life. However, if you try to offset the pain and the comfort that you experience in your life one by one, you will have more suffering. Isn’t it sometimes that there is joy in the suffering of?

Moreover, that joy often causes the next suffering.

In Buddhism, there are many questions about the people of Russia. Four sufferings are the basic sufferings of humans. In addition, there are four sufferings associated with the four sufferings. This is called the 8th pain together with the first 4th pain. Usually, they are collectively referred to as hardships.

It is important as a basic tenet of Buddhism, so let’s review it again.

First of all, the four pains are the pains of life, old age, illness, and death. This is the basic human suffering. Furthermore, the suffering that comes with the four pains comes out. There are four types: Aibetsu separation, grudge hate, unwillingness, and Goinen. Collectively, these sufferings are referred to as struggles. In this way, humans are really a painful mass.

The first of the four pains is raw pain. As you can see by looking back at your life, living is a pain. Being born is a pain. Some things are fun just because we are alive, but that fun becomes a pain in the next moment. Therefore, life can only be said to be suffering.

The second is the suffering of old people. As long as we are alive, we all get older. Be sure to get old. Again, this is not fun. There will be joy only for old people. However, as you get older, your physical strength, energy, and intellect will decline, so “old” is by no means pleasant.

When I wake up in the morning and look in the mirror to shave,

“Oh, I’m old”

I often feel that. Even if you’re young, you can’t exert yourself as strong as when you were young. Old suffering is something everyone enjoys.

The third is illness. As long as you are alive, you may get sick. No one thinks that illness is fun. Some can be gained by illness, but relative illness is painful.

Fourth is the suffering of death. All human beings will die. Unless you are an enlightened person, death is lonely, painful, and painful.

The above is four pains. Adding to these four pains, Aibetsu separation, grudge hate, unsuccessful suffering, and five indulgence, it becomes eight pains.

Love separation is the suffering that you have to separate from what you love. No matter how much you love each other, or couples, parents, children, siblings, or friends, you must someday separate them. There are goodbyes and deaths. In any case, separating yourself from your loved one is really painful and painful, but it is unavoidable.

And it’s not just about relationships. What we love is not necessarily human. For example, some people really love money.

“Oh, my money is my lover. I don’t need anything else.”

Others love their position. I love the post of the Prime Minister, president of the company, and executives.

But whether it’s money or status, there will always be a time when we have to get away with them. How much,

“I refuse!”

When I screamed, it didn’t happen.

The next grudge hate is suffering that you have to meet with a person who is grinning or hating, but this is also the pain that is as good as the love separation.

“If you don’t like that hate or grudge, you should meet up.” Maybe it’s like that, but because I’m unable to leave because of my relationship, it’s very painful.

It is. One of them is the “cause of marital relationship disorder”. Even if you first love each other and get married, if there is a “cause of marital relationship disorder” that causes grudge hatred, the couple will hate each other. Well

He hates each other like his parents, and fights from morning till night.

“If so, why not break up?”

The theory is correct. However, I can’t say goodbye. Due to various relationships, financial reasons, and various other reasons, I cannot divorce. This is the dreadful part of the connection. I have no choice but to put up with it, but I can’t stand it and I have to fight every day.

解脱に至る四つの階梯」といった。

 だれでも、解説に至るためには、この四つの段階を経なければならない。そ してこの四つの階梯を、すぐれた聖師にしたがって歩んでいくならば、だれでも 解脱に到達できるのである。もちろん、あなたにしてもそのとおりだ。

 そこで、この四つの階梯について、のべてみよう。

 四つの階梯とは、

一、srota apanna 須陀オン

二、sakrd agamin        斯陀含

三、anaga msn    阿那含

四、arhat      阿羅漢     B uddha  仏陀

である。

説明すると、

須陀逼 -きよめられた聖者

 斯陀含上局められた聖者

 阿那含―大次元を)飛躍した聖者

 阿羅漢-―人次元を)超越し、完成した聖者、「仏陀」ともう。

 では、この四つの階梯を、修行者はどのようにして歩んでいくのだろうか。

七科三十七道品の成仏のカリキュラムとは、そういう方法なのである。
「きよめられた聖者」は、いまのべた内的なものだけではなく、外的にもきよめられなければならないのである。
それはどういうことかというと、自分の持つ「霊的なけがれ」もとり除かなければならないということである。
霊的なけがれとは、自分にかかわりのある不成仏霊・霊障のホトケのことである。これをことごとくとり除かなければならない。

自分にかかわりのある不成仏霊・霊障のホトケを持っていると、それらが持つよこしまな性格や想念の影響から逃れることができないのである。さらに恐ろしいのは、それらの不幸な存在がたどった運命の、「運命の反覆」をするおそれが強いのである。

「運命の反覆」とはカルマの反復にほかならない。これが最
も恐ろしいのである。これは修行者にかぎらず、ふっうの人の生活においても、悲惨な人生を送った霊障のホトケの人生を、そのまま反覆するケースを非常に多く見るのである。

大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行

 それはひと口にいって、大脳辺繰糸・新皮質脳を殺す修行である。

 大脳辺繰糸と新皮質脳を殺さなければ、間脳は作動せず、第三の目は開かな いのである。

 ただし、誤解してはいけない。大脳辺緑系・新皮質脳を殺すということは、 究極において、大脳辺緑系、ことに新皮質脳を生かすということなのである。新 皮質脳は「創造の座」であるといわれる。しかし、ほんとうの創造の座は間脳に あるのである。間脳はこれまでくり返し説いてきたように、霊性の場であり、

霊 感の座なのである。ここが開発されることにより、ほんとうのインスピ レーションが発生するのである。

 ただし、間脳を開発するためには、しばらくの間、大脳辺縁系と新皮質脳を 閉ざさなければならないのである。間脳が開発されたとき、新皮質脳は新しく よみがえる。新しくよみがえった新皮質脳こそ、霊性を基盤とした超人的なイ ンスピレーションと創造力を持つ頭脳となるのである。

 ではそれはどんな修行か?

霊性完成の方法と体系

 釈尊が残した霊性完成の修行法がそれである。これを、わたくしは、「成仏 法」とよんでいる。成仏とは霊性を完成したことをいい、それを成就した人を

「仏陀」とよぶ。だからわたくしはその方法を、「成仏法」とよぷのである。

 くわしくは、『輪廻転生瞑想法』でのべたとおりであるが、それは七つのシ ステムと三十七種のカリキュラムから成る成仏のための方法と体系である。これ を、阿合経では「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」とよぷのであ る。この二つの名称は、わたくしが勝手につけたのではない。古来からの仏教用 語である。

 わたくしが、阿含経以外のお経―-法華経、阿弥陀経をはじめすべてのお経 をいささか激しい表現で批判するのは、阿含経以外のお経には、どの経典に

も、この成仏法がないからである。釈尊がじっさい説かれたのは阿合経だけで あるという歴史的な事実のほかに、阿含経以外には、この「成仏法」がないか ら、わたくしはそういうのである。「成仏法」のない経典など、わたくしは真実 の仏教経典と認めることはできないのである。もちろん、それなりの存在意義 なり存在価値はあろうが、本流ではない。傍流というべきである。このことに 関しては、わたくしの他の著書を読んでいただきたい。

 

七科三十七道品とはつぎのようなものである。

四念住法トト身念仕法 受念住法 心念仕法 法念仕法

四正断法-断断法 修断法 随護断法 律儀断法

四神足法-欲神足法 勤神足法 心神足法 観神足法

五根法-信根法 精進根法 念根法 定根法 慧根法

五力法11信力法 精進力法 念力法 定力法 慧力法

七覚支法トト択法覚支法 精進覚文法 喜覚文法

      定覚文法 念覚支法

軽安覚文法 捨覚文法

八正道法-‐‐正見法 正思惟法 正語法 正業法 正命法 正精進法  正念法 正定法

以上である。

この七科目、三十七種のカリキュラムは、

 べ瞑想

 二、実践

 四念住法・五根法は、瞑想である。

 四正断法・五力法・七覚文法・八正道法は、実践と瞑想である。

 四神足法は、特殊な練行taPasである。

 神足とは、神通力(超能力)のことで、この四神足法は、超自然の神通力を得 るための四種の修行法である。前にのべたわたくしの練行tapasはこれに属する ものである。

 この七つの科目のうち、練行tapasを中心に、瞑想と実践の科目をとり入れて 修行するのである。どの科目をどうとり入れて、どのように訓練するかは、

聖師が決定ずる。修行者それぞれ、みな素質と因縁がちがうので、それを見 て、グルが決めるのである。

 この修行において、グルの果たす役目は大きい。グルについて、少しのべよ

霊性の洗礼

 

まず、間違いなく霊性を開顕したグルを見つけて、そのグルに受け入れても らうことである。それができたら、この修行は八分どおり成功したといっていい くらいである。それくらい重要なことであり、かつ、むずかしいということで ある。

 グルなくして、正しい霊性開顕の仏道修行は不可能である。ふつうの仏教信 心とはちがうのである。信心のしかたや、信仰のしかた、経典の講義や解釈を教 わるという程度のものならばとにかく、霊性開顕の仏道修行は、強力な霊的能力 を持つグルの助けなくしては、絶対といっていいほど、できないのである。

 たとえば、インド近代の聖者ラーマナーマハリシが、入門者に対して、「凝視 の方法」で受け入れの儀式をおこなったとき、彼の両眼の輝きと力が相手の心 をつらぬいて、その雑念の流れを断ち切ってしまったといわれる。ときとして は、まるで電流が身の内に流れ込んだように相手は感じたともれる。

Four steps leading to liberation

Now, I’m saying, “Four steps leading to liberation.”

Everyone needs to go through these four steps to get to the explanation. And if we follow these four steps according to a good saint, anyone can reach liberation. Of course, you’re right.

Then, let’s talk about these four steps.

What are the four ladders?

One, Srota apanna Suda on

Second, sakrd agamin included

Three, anana msn including Ana

Four, arhat Arhan Buddha Buddha

Is.

To explain,

Suda逼-Cleaned Saint

The saints who are included in the station

Saints who leapt to the big dimension)

Arakhan: transcends the human dimension) and the completed saint, “Buddha”.

Then, how do the practitioners walk on these four steps?

That’s how the Buddhist curriculum of Nanashina Thirty-Seven Dojo is.
A “cleansed saint” must be cleansed not only internally as it is now, but also externally.
What that means is that you must also remove your own “spiritual injuries”.
Spiritual injuries are hot stones of imperfect Buddhist spirits/disorders related to oneself. You have to get rid of all this.

If you have the improper Buddhist spirits and spiritual disabilities that are related to you, you will not be able to escape the effects of their devious personality and thoughts. What is even more frightening is that there is a strong possibility that these unfortunate beings will “repeat the fate” of the fate that they followed.

The “repeat of destiny” is nothing but the repetition of karma. This is the best
Is also scary. This is not limited to practitioners, but in the lives of ordinary people, there are many cases in which the life of a spiritually distressed Hotoke who has lived a tragic life is overturned.

Training to kill the limbic and neocortical brains

It is a practice to kill the cerebral limb and the neocortical brain in a bit.

If you do not kill the cerebral limb and the neocortical brain, the diencephalon will not work and the third eye will not open.

However, don’t get me wrong. The killing of the cerebral meridian/neocortical brain is, in the ultimate sense, the utilization of the cerebral meridian, especially the neocortical brain. The new cortical brain is said to be the “creation seat.” However, the real place of creation lies in the diencephalon. The diencephalon is a place of spirituality, as I have repeatedly explained,

It is an inspirational seat. When this is developed, it really brings inspiration.

However, in order to develop the diencephalon, it is necessary to close the limbic system and the neocortical brain for a while. When the diencephalon is developed, the neocortical brain is reborn. The newly raised neocortical brain will be the brain with superhuman inspiration and creativity based on spirituality.

Then what kind of training is it?

Method and system of spiritual completion

That is the practice method of complete spirituality left by Buddha. This is what I call the “seibutsu”. Seibutsu means that the spirituality has been completed.

It is called “Buddha”. That is why I call that method “seibutsu”.

In more detail, as mentioned in “Reincarnation Meditation Method”, it is a method and system for Buddhism that consists of seven systems and thirty-seven curricula. This is referred to as “Nanashina Thirty-Seven Dojo” or “Thirty-seven Bodhi-hobu” in Ai Sutra. These two names were not my own choice. It has been used for Buddhism since ancient times.

I suspect that all sutras, including Hokkei and Amitabha, are criticized with a bit of fierce expression except for Sutras.

This is because there is no law of this French. In addition to the historical fact that Buddha was the only one who was told that it was only Ai Sutra, I think that there is this “seibutsu” other than Akon Sutra. I can’t admit that it is a true Buddhist scripture, such as a scripture without a “seibutsu”. Of course, there is a certain sense of existence and value, but it is not the mainstream. It should be called a sidestream. Regarding this, please read my other books.

The seventy-seven departments dojo is as follows.

Four Nemitsu Law, Toto, Mind Law, Mind Law, Mind Law

Four Positive Laws-Official Laws, Restorative Laws, Sustainable Laws, Laws of Law

The Four Gods Law-The Greeds God Law

Gone method-Shinne method, devoted root method, Nemone method, fixed root method, Keine method

Five-power method, 11-credit method, vegetative method, psychokinetic method, constant-power method, and vigorous method

Seven sense support method Toto choice support method

Quorum grammar, happostyle

Karuyasu grammar, Naruto grammar

Hachishodo—Masami-ho, Seiseki-ho, Orthodox-hoshoku, Seimei-ho, Shoshin-ho, Hoshin-ho

That is all.

This seven subject, thirty-seven curriculum,

Meditation

Second, practice

The four-nine living method and the five root method are meditations.

The four positive cut method, the five force method, the seven sense grammar, and the eight positive method are practice and meditation.

The Shikamizoku method is a special training taPas.

God is the power of supernatural powers (supernatural powers), and the four types of training are the four methods of training to obtain supernatural powers of supernatural nature. The sticky tapes practiced in the previous section belongs to this category.

Among these seven subjects, we will focus on training tapas and practice meditation and practice subjects. Which subject to take and how to train

The Holy Master decides. Each practitioner has a different affiliation with their traits, and Guru decides upon it.

The gurus have a great role to play in this training. A little bit about the guru

Spiritual baptism

First, make sure you find a guru that reveals spirituality and accept it. If we could do that, we could say that this training was successful in eight minutes. That’s what is important and difficult.

It is impossible to practice Buddhism in the correct spirituality without Guru. It is different from ordinary Buddhism. Anyway, as long as it is a method of belief, a method of belief, or a lesson of teaching or interpreting a scripture, Buddhist practice of spiritual manifestation is absolutely necessary without the help of a guru who has a powerful spiritual ability. You can’t do that.

For example, when modern Indian saint Rahmanah Maharishi performed an acceptance ritual to the introductory person by the “gaze method”, the brilliance and power of his two eyes pierced the heart of the other person, It is said that the flow has been cut off. At times, the other party feels as if a current has flowed into them.

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